ネパールについて 

ネパール地図
1. ネパールという国
 ネパールは大ヒマラヤ山脈の核心部に沿った東西に細長い国土を持ち、北は中国(チベット自治区)、南はインドと国境を接している。ヒマラヤのイメージが先行してしまうためか、険しい山岳地帯ばかりを想像しがちだが、実際のネパールの自然は、実に多様で変化に富んでいる。地球上で見られるあらゆる自然景観が、この小さな王国の中に詰まっていて、ないのは海だけだといっても過言ではない。
 ネパールの国土は北緯27〜30度あたり、日本でいえば小笠原諸島や奄美大島とほぼ同じ緯度に位置し、気候的には亜熱帯地域に属している。東西約850キロ、南北約200キロ、14万3650平方キロの国土は、日本の5分の2弱、北海道の2倍ほどの広さをもっている。
 南北200キロというと東京から福島県の郡山あたりの距離だが、実にこの間に標高8848メートル、世界の最高峰エべレストから、標高200メートルほどの低地(インド国境沿いに広がるタライ平原)までの千変万化の地形や気象帯が存在する。
 自然だけでなく、ここに暮らす民族もまた実に多様だ。大きく見ればアーリア系とモンゴロイドの2つの人種、言語的には次の5つの民族に大別できる。インド・ヨーロッパ語系のパルバテ・ヒンドゥー(山地に暮らすヒンドゥー教徒)と北インド系住民(タライに暮らす低地の民)は、彫りの深い顔立ちをしたアーリア系民族で人口の約6割を占める。残りの約4割がモンゴロイドで、タマン、グルン、タカリーなどのチベット・ビルマ語系の諸民族、カトマンドゥ盆地の先住民であるネワール族、そしてシェルパ族をはじめとするチベット系諸民族だ。
 宗教的には国教とされるヒンドゥー教が中心だが、主としてチベット系諸民族に信奉されているラマ教(チベット仏教)や土着信仰、インドの古い仏教の流れも色濃く残っている。また、多く多重信仰やヒンドゥー教と仏教や土着信仰との融合も随所に見られる。
 たぐい稀な自然景観と優れた文化遺産が旅行者を魅了するネパールだが、この国が世界で最も貧しい国の一つであることも知っておきたい。国土の大部分が険しい山地であり、耕地が少ないこと、そして交通手段は徒歩に頼らざるを得ないという過酷な環境が、国の発展を阻害している最大の要因だろう。山地の村々では医療や教育も今なお十分とはいえず、そこに暮らす人々の多くは今でも自給自足の農業を糧としている。工業製品のほとんどはインドや中国をはじめとした諸外国からの輸入に頼っていて、観光産業以外はまだまだ立ち遅れている。
 ちなみに日本はネパールへのODA(政府開発援助)の最大の援助国となっているが、金額よりも援助の質を高めることがこれからの課題といえるだろう。また最近では都市(特にカトマンドゥ)への急速な人口集中が進み、それにともない大気汚染などの公害も問題化している。 
2.高山病
 トレッキングで最も不安なことは高山病だろう。高山病とは高所に登ったときの低酸素、低圧などによる体の反応で、初期症状としては頭痛、息切れ、倦怠感などの症状が現われる。さらに吐き気、不眠、下痢などと症状が進み、最悪の場合はしに至ることも珍しくない。また、個人差があり、高山病にかかりやすい人、かかりにくい人もいてその日の体調も大きく影響するので、どこで症状が出るかを予想するのは難しい。
 しかし、一般的にみれば、高山病は3500mくらいから症状が現われ始め、4000mを超えると程度の差こそあれほとんど誰でも何らかの症状が出ると思ってよいだろう。高所へ向かう以上、高山病は避けられない問題なのだ、そこで、以下上手に体を高度に順応させていくか、ということが大切になってくる。
 対策としては次のようなポイントを守って行動するとよいだろう。まず標高が3500mを超えてからは、一日に500m以上の高度を上げないようにプランを立てること。そして途中、4000m付近に停滞日を設けて、体を高度に慣らしていくとよい。ただし、停滞といってもただ寝ているだけでは効果は上がらないので、周辺の丘(200〜300mの高度差のある)に散歩に出かけたりしながら、無理のない範囲で常に体を動かしていることが大切だ。
 また、高所では低地と比べ水分の放出量が極端に多くなるので脱水症状を起こしやすい。これを防ぐためには常に水分の補給に心掛けるようにしたい。高所では1日に最低4リットルの水分が必要だといわれている。
 いずれにしても高山病の症状が進んできた場合は、すみやかに下山することが肝心だ。酸素吸入は一時しのぎにすぎないので、とにかく下るしか手はない。1000m以上高度を下げれば、多くの場合症状は快方へ向かう。
3. シェルパ族
 “シェルパ”という言葉は、ヒマラヤの登山やトレッキングで、ガイドという意味に使われる場合があるが、実は多民族国家ネパールを構成する民族のひとつ、誇り高い山岳民族の名前なのだ。このシェルパ族は、500年ほど前に、東チベットからヒマラヤを越えてその南西に移動してきた人たちと考えられている。チベット語でシェルパというのは“東の人”を意味する。
 シェルパは、エべレストをはじめ高峰がひしめくクーンブ地方、およびその南ドゥード・コシ沿いのソル地方を中心に、ヒマラヤの高地に住んでいる。チベット語の方言ともいえるシェルパ語を話し、チベット仏教を信じ、その風俗・習慣もチベットにきわめて近い。
 厳しい風土での生活は、高度の異なる畑地や放牧地の間を季節ごとに移動しながら営まれている。農作物はジャガイモ、大麦などにかぎられ、家畜はヤク(長毛の高地牛)、牛、それらの雑種(ゾッキョ)。農業と牧畜とが、最大限に土地をりようできるようくみあわさられている。
 またシェルパは昔から、チベット高原とヒマラヤ南方の低地との間の物資の交易に活躍してきた。クーンブの中央にあるナムチェは、この交易により発達してきた村だ。その名残りは今もナムチェで開かれるハート(定期市)で見ることができる。
 その後、ネパールを多くの登山隊やトレッカーが訪れるようになった現在、クーンブ地方のシェルパたちは、高所での荷物運びやトレッキングのガイドに従事してその経済生活を支えている。
 クーンブへのトレッキングは、初めから終わりまでこのシェルパ族とのつき合いになる。
4. 毛沢東主義派(マオイスト)
 1996年、ネパール共産党の毛沢東主義派(マオイスト)は、政府の汚職と国民の生活に何の発展も与えない民主主義の失敗にうんざりし、「人民戦争」を宣言した。民衆の一揆は、はるか西方の貧しい地方から始まり、だんだん勢いを増していった。ただ、政治家は、これをほとんど無視する態度をとり続けたが、2001年11月、ついに手痛いしっぺ返しをうける。毛沢東主義派たちが停戦協定を破り、カトマンズ西部にある軍の兵舎を襲ったのだ。民主政治が続いた10年の間に、田舎に住む若いネパール人を中心に、多くの人たちが、政府にとことん幻滅を感じていた。
 21世紀初頭に入ると、この国の政治状況は、悪化の一途をたどるようになった。2002年の終わりまでには、マオイストたちの暴動で一般人を含めて8000人近い死者が出ている。
 毛沢東主義派と政府軍の戦いが加熱していた2002年3月、毛沢東主義派の中心人物であるバブラム・バッタライが“外国人観光客への公開状”を公表した。その中で、毛沢東主義派は観光業と観光客を歓迎するといっている。なぜなら、「われわれは、急速に経済を発展させ、国家や国民を豊かにするために、自然界の資源や文化遺産を最大限に利用する」のだという。しかし、その後で警告もしており、「旅行者が、うっかり抗争中の軍隊の一斉射撃に巻き込まれる可能性がある」とし、「戦闘活動が行われている地域に、あえて入らないように」と忠告している。しかしながら、「革命軍によってしっかりと統治されている、革命軍の本拠地がある区域への訪問は大いに歓迎する」ともいっている。
 その後、毛沢東主義派と政府軍の間に停戦協定が結ばれた。とはいえ、バッタライのメッセージに見られる警告は、まだしっかりと心に刻んでおく必要があろう。
5. ネパールの宗教
 ネパールは世界で唯一ヒンドゥー教を国教とする国家だが、チベット仏教も容認されている。最初はインドの文化的影響が大きかったが、6世紀頃からはチベットとの関係も強くなり、8世紀にはチベットに征服されたこともあるらしい。12〜13世紀頃からは、イスラム教徒の手を逃れて、多くのヒンドゥー教徒や仏教徒がインドから流入した。特にバラモンは重用され、カースト制も法制化された。
 ネパールは、文化的にインドのヒンドゥー教とチベット仏教の影響を強く受けている。南ネパールはインド文化圏に属するし、北方山岳部は完全にチベット文化圏に入る。その中間帯の、カトマンズを中心とする地方で、両宗教は混合し、それにネパール土着の要素も加わり、独自の美術を育てた。
 カトマンズでは、寺院の多くが、ヒンドゥー教徒、仏教徒、双方からの崇拝を受ける。日本の仏塔に似た木造層塔建築が多く造られ、装飾として施された彫刻は繊細さで知られる。また仏塔はインド古来の土饅頭型をしているが、覆鉢と相輪の間に箱型の平頭を据えてその4面に巨大な目が描かれるのは、ネパール独特の意匠である。2000年ほど前に建てられた「目玉寺院」スワナンブナートはその代表例だ。