マチュピチュ 

マチュピチュ遺跡・鋭峰ワイナピチュとアンデスの山並(背後)

マチュピチュへは、基本的に列車が唯一の移動方法となっている。 @ クスコから鉄道112km地点の終点駅である
アグアスカリエンテスよりハイラム・ビンガム・ロードでマチュピチュに至るコースと A クスコから鉄道104km地点(標高
2250m)で列車を途中下車、線路に沿った聖なるウルバンバ川を渡り、入山許可を受けた後5〜6時間のインカ道
に点在する遺跡巡り、高山植物散策やトレッキングを楽しみながら、太陽の門を経てマチュピチュに至るコースがある。

所々に姿を見せるアルパカ


世界遺産登録 1983年12月
遺跡所在地 クスコより北西122.5km
(線路の距離での計測)
南緯:13度9分23秒
西経:71度32分34秒
海抜 2490.51m
気候 亜熱帯
乾期  4月〜10月
雨期  11月〜5月
年間平均気温 最低   8〜11℃
最高  19〜22℃
ペルー文化庁(INC)のデータによる
ハイラム・ビンガム・ロードとは?
マチュピチュの麓から遺跡入口に続くつづら折の道路が、ハイラム・ビンガム・ロードで
ある。現在も数多くの観光客が、この遺跡を訪問するため利用されている。発見者
であるハイラム・ビンガムにちなんでハイラム・ビンガム・ロードと名付けられている。

 マチュピチュ遺跡の存在は、クスコ在住のアグスティン・リサラーガが1902年に到着し、その存在を地元の人々が広く知るようになる以前の16世紀の古文書に、既にスペイン人侵略前からの遺跡として地名と位置が記されていることを知ることからから始まる。アメリカ・エール大学の考古学教授であったハイラム・ビンガムが、1911年7月24日に発見したというのは、考古学上の見地からマチュピチュ遺跡の存在を発見して、世界に証明したことを意味する。現在、多くのガイドが説明の基礎にしているのが、1911年9月から1915年にビンガムとペルー政府が共同で行った第1回発掘調査の結果報告がベースになっている。
 そして、これまでに行われてきた数多くの調査研究結果により、推測や解釈も従来より大きく発展するようになった。ハイラム・ビンガムの発見から、約1世紀近くの年月が経とうとしている現在、これまでにこの遺跡から出土したものは、土器・青銅器・人骨やミイラがその殆どを占めています。近年、唯一見つかったのが金のブレスレットで、水汲み場近くの小さな広場に1本だけ立っている樹木の近くから出土している。
クリックするとHotMediaで大パノラマが見れます
マチュピチュ(左)〜太陽の門 の大パノラマ(クリックで大パノラマHotMedia Scrollが見れます)

 その建設目的と時代背景については、現在も謎に包まれたままである。スペイン人がクスコ方面を侵略して以降、インカ帝国の中枢機構がスペイン人に発見されにくい場所にこの遺跡を建設したという説は、既に16世紀の古文書に遺跡の存在が記されていたことを考えると、短期的な建設は難しいのではないかといわれている。現在、有力な説としては、広大なアンデス地帯を中心に大帝国を築いた9代インカ皇帝パチャクテクが君臨した15世紀中頃から終わり(その後、約50年ほど後にスペイン人が進入)にかけて、聖なる谷からオヤンタイタンボ一帯の整備が進められていた頃に、マチュピチュも遺跡建設が始まり、スペイン人がこの地を支配し始めた頃に建設が終了したというものがある。当時、広大な支配を誇ったインカ帝国だが、正確にはアンデス内陸のジャングルまでは完全に支配していなかったとされ、帝国はしばし、ジャングルの民と、トラブルを起こしていたといわれている。
 そのような理由から、この遺跡はジャングル支配の重要な前線基地であり、また、この地域の温暖な亜熱帯の気候で育つ、アンデスの高地には無い植物(コカも含まれる)や動物、鳥の羽などの貴重な産物を帝国の首都クスコに運ぶ、経済的な要所であったのではないかと考えられている。そんな帝国の辺境の要所も、スペインの侵略を境に、彼らの支配が及ばない格好の場所として、帝国の政治的中枢機構を移したのではないかと推測されている。

太陽の門よりガスで幻想的なマチュピチュ全景

 下の地図を見ると、マチュピチュ遺跡は5区域に分かれている。一般に良く知られている石の建造物が密集するのが、地図から右半分の都市区域です。ガイドブックやガイドの説明では、市街区域も様々な階級の人々によって、居住区域が分かれていたとされているが、基本的にインカ時代は高い場所に位の高い人間が住んでいたとされるので、ここに多くの人が住んでいたとするなら、インカの慣習に従って居住区域が社会階層別に分別されていたと考えても疑問はない。
 「神聖な広場」や「太陽の神殿」がある地域は神官などの聖職者達の居住区域。そこから広場を挟んだ向かいの高い場所は貴族の居住区域。また土器や青銅器が多く発見された「石臼」あたりは技術者の居住区域と推測され、そこから更に下方に広がる荒廃した住居跡付近は庶民の地域だったといわれている。ただ、このマチュピチュ遺跡については、はっきりしたことが何も無いこと、口頭伝承も信憑性を伴わない場合が多いことを考えると、上記の説明も真実を裏付ける証拠の無い現状では、説得力が無いことも確かである。そのため、我々訪問者自身が諸説を元に、マチュピチュ遺跡は何であったか、客観的に推測や判断することが必要であることはいうまでもない。
     第4日:インティインホテル〜マチュピチュ遺跡〜ワイナピチュ登頂〜アグアスカリエンテス
           〜オリャンタイタンボ駅〜クスコ・プーマホテル(2007.3.18)


太陽の門より
マチュピチュ

ウルバンバ渓谷

アルパカ

マチュピチュ全景

太陽の門(右のコル)

遺跡入口

ガス掛かるワイナピチュ

太陽の神殿

王族の集落

段々畑と墓地

太陽の神殿

王族の集落

葬儀の石

お祈りの広場(コンドルの神殿)

聖なる広場

聳えるワイナピチュ

ワイナピチュ地図

頂上にて

頂上標識

ワイナピチュ全景
マチュピチュ中心部
 クスコ・インカ道 

クスコの街の夜景(左下はアルマス広場で教会等が見える)


 クスコ クスコは、アンデス山脈中の標高3600mにあるにもかかわらず11〜12世紀頃建設され、太陽神を崇拝するインカ帝国の都として栄えた。ケチュア語で「ヘソ」を意味するこの都市には、帝国内のあらゆる地方から人々が集まり、まさに世界の中心地とされていた。 しかし、1532年に、スペインの征服者フランシスコ・ピサロによって帝国が終わりを告げた後、征服者たちは、太陽の象徴である黄金で彩られた神殿や宮殿を破壊し、金銀を手当たりしだい略奪してインカが築いた精巧な礎石の上にスペイン風の教会を建設していった。スペインの建物はインカによって建設された巨大な石の壁の上に作られている。これらインカ時代の石積みは、石と石のあいだに「カミソリの刃一枚通さない」といわれる巧緻さで有名である。クスコ市内には、聖ドミンゴ教会、十二角の石、アルマス広場などインカ時代の面影を知ることができる。また、周囲にはサクサイワマン遺跡・水の神殿タンボマチャイ・ケンコー遺跡など、数多くの遺跡が点在する。1983年、世界文化遺産に登録された。

  第3日:ファラオナホテル〜リマ空港〜クスコ空港〜クスコの遺跡や市内観光〜サンアグスティンホテル(2007.3.16)


アンデスの山並

クスコの街

コンドルパーサで歓迎される

クスコ空港

聖ドミンゴ教会1中庭

同2廊下

同3インカの石組み1

同4インカの石組み2

同5

同6

旧インカ・ロカ宮殿の石壁

ヘスス教会

アルマス広場

インカ石壁上に建つ教会

ヘスス教会と憩いの場

噴水と国旗

サクサイワマン城塞跡。インカ帝国と征服者の最初の戦場地

城塞跡には可憐な花1

可憐な花2

可憐な花3

十二角の巨石で作られた城塞跡

綺麗な刺繍を横に

水の神殿タンボマチャイ

羊を飼う少女

羊と遊ぶ少女、日本人と変らない愛らしさに思わずチップをはずんでしまった

聖なる川ウルバンバの渓谷沿いを走るインカ道(写真では細く見えない)

 インカ道 聖なる川といわれるウルバンバ川対岸の上段に、渓谷沿いを走る道がインカ道である。この道はアンデス山中を走る幹線に結ばれた支線の一つで、マチュピチュを経て、ビルカバンバ川の先へとつづいている。インカ時代、北はエクアドルから、南はチリーまで4000kmに渡ってインカ道がが整備されていた。南北には二つの幹線道があり、一つは海岸沿いに、もう一つは、アンデス山中を通り抜けていた。幹線道路の整備の凄さは、1533年のフランシスコ・ピサロのクスコ入城の際、同行したピサロの兄、エルナンドが、「キリスト教国中探しても、比べるもののないほど美しい道」と、記しているのを見れば容易に察しがつくであろう。

  第4日:サンアグスティンホテル〜オリャンタイタンボ駅〜104kmポイント〜あずま屋〜ウイニャワイニャ遺跡
       〜ウイニャワイニャロッジ〜太陽の門〜マチュピチュ〜インティインホテル(2007.3.17)

ウルバンバ川支流
駅前広場 オリャンタイタンボ駅 美しい花達1

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多種のラン達10

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聖なる川ウルバンバ

美しい花達16

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遠くはウイニャワイニャ遺跡

美しい花達23

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インカ道を往く

水量多い滝

山麓にインカ道が走る

ウイニャワイニャ遺跡にて

ウイニャワイニャ遺跡

太陽の門よりウルバンハ川

太陽の門よりマチュピチュ

インカ道を往く(険しい所もあるが良く整備されている)

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