金沢城・石川門・兼六園・尾山神社 
 金沢は私が育った地で、現在、県外に住む私は、離れてはじめて故郷金沢の素晴らしさと良さが判ってきた様な気がします。金沢を離れて42年、最も印象に残る再建された金沢城と秋の兼六園や尾山神社の一部を紹介します。
 
金沢城の歴史は、古くは天文15年(1546)に本願寺が加賀一向一揆の拠点として金沢御堂を創建したことに始まり、天正8年(1580)に信長の命を受けた佐久間盛政が尾山城を築城、3年後の天正11年(1583)に前田利家が入城、明治2年(1869)まで加賀藩前田家14代の居城となりました。その後、終戦まで陸軍の拠点、平成7年まで金沢大学キャンパスとして利用され、平成8年1月都市計画により、金沢都心部に28.5ha、東京ドームの6倍超の金沢城が誕生することになりました。石川門は、金沢城の搦手(裏口)にあり、天明八年(1788)に再建され、現在、重要文化財に指定されています。金沢御堂創建から450余年を経た現在、一般開放されています。
 兼六園は、百万石前田藩の庭園として造られた特別名勝であり、偕楽園、後楽園と日本三名園の一つに挙げられています。ほぼ現在の姿に造園されたのは13代藩主斉泰の時代で「兼六園」の名称もその頃に定められました。その名は、宋代の詩人・李格非が書いた「洛陽名園記」に由来し、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園として時の老中松平定信が命名したと伝えられています。冬の風物詩・雪吊りや梅林の紅梅白梅など四季折々の自然と、絶え間ない築庭の妙が織り成す景観は、屈指の美しさと雄大さを生み出し、まさに金沢の顔に相応しい名勝です。

 尾山神社は、慶長4年(1599)に加賀藩藩祖前田利家を祭り創建された卯辰八幡宮を、明治6年に卯辰山から現在地に移し、尾山神社としました。尾山神社の神門は明治8年に完成したのですが、神門の和洋中の三様式が取り入れられた五色のギヤマンが綺麗です。2002年11月に尾山神社の神門の改修が完成し60年ぶりに神門最上層のステンドグラスに明かりが灯されました。尾山神社の池泉回遊式庭園も見ごたえがあります。2000年に新たに前田利家公とその妻まつの像が新たに建立されました。
 金沢城 

本丸より金沢城全景(手前より橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓、右方は石川門)

二の丸より金沢城全景(右より橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓)

五十間長屋より石川門(左)、三の丸広場、鶴の丸石垣(右)
 菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓は、寛永九(1632)年に建設されて以来、宝暦九(1759)年、文化五(1808)年、明治(1881)年と三度の火災に遭い、120年ぶりの再建となりました。古図や古写真など資料が豊富に残っていること、現存する石川門(1788年築)との時代的な整合性などから文化六年再建時の姿に可能なかぎり忠実に復元しました。伝統的な木造軸組工法を基本としながらも、建築基準法によって、コンクリートの基礎や一部の柱寸法を太くする、1階天井と二階床の間に耐火ボードを挟み込む、スプリンクラーを設置するなどのことを行っています。

石川橋を渡ると石川門

重文石川門

石川門中門(二重)

橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓

同左

橋爪門続櫓・石垣

同左

菱櫓

鉄門跡・石垣

本丸より金沢城全景

鶴の丸

東の丸より金沢城全景

河北門                        三十間長屋                       鶴丸倉庫

石川櫓、石川門前田利家公之像
 石川門 

兼六園より右から石川門、石川櫓、百間堀石垣全景
 重要文化財に指定されている現在の石川門は、天明八(1788)年に再建されました。金沢城の搦手(裏口)でありながら、特に堅固に造ってあるのは小立野方面からの攻撃に備えたもので、ここが金沢城の一番の弱点で、攻撃されやすいと考えられていたからです。石川門の最大の櫓(石川櫓)は菱形で石落しも設けられています。

石川櫓

重文石川門

石川橋下より石川櫓
 
 兼六園 
花見橋より紅葉雪吊りの唐崎松鶺鴒島近くの紅葉
偕楽園、後楽園とならぶ日本三名園の一つ、兼六園。兼六園は江戸時代の代表的な大名庭園として、加賀歴代藩主により、長い歳月をかけて形づくられてきました。金沢市の中心部に位置し、四季折々の美しさを楽しめる庭園として、多くの県民や世界各国の観光客に親しまれています。
兼六園は、「廻遊式」の要素を取り入れながら、様々な時代の庭園手法をも駆使して総合的につくられた庭です。廻遊式とは、寺の方丈や御殿の書院から見て楽しむ座観式の庭園ではなく、土地の広さを最大に活かして、庭のなかに大きな池を穿ち、築山(つきやま)を築き、御亭(おちん)や茶屋を点在させ、それらに立ち寄りながら全体を遊覧できる庭園です。いくつもの池と、それを結ぶ曲水があり、掘りあげた土で山を築き、多彩な樹木を植栽しているので、「築山・林泉・廻遊式庭園」とも言われています。
何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。最初の作庭者、5代藩主・綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また、13代藩主・斉泰(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。







瓢池・翠滝

内橋亭・霞ケ池・蓬莱島

霞ケ池・琴橋・ことじ灯籠

石川近代文学館(旧四校跡)

百万石通り

兼六園真弓坂口

瓢池・翠滝

のどかな鳥たち

噴水(日本最古)

夕顔亭

茶店通り

桂坂

ことじ灯籠

琴橋・ことじ灯籠

雪吊りの唐崎松

花弁300枚超の菊桜

根上松

明治紀念之標

唐崎松・日本武尊像

花見橋

花見橋より紅葉

曲水(辰巳用水)

紅葉1

紅葉2

鶺鴒島

冬桜

内橋亭・霞ケ池・蓬莱島

紅葉3

紅葉4

紅葉5

紅葉6

静かな流れの辰巳用水
 尾山神社 

尾山神社 社殿
 前田利家公の沒後、その霊を神として奉祀しようとしましたが、当時はばかる所があって、その実公の霊を加賀国卯辰山麓に鎮座の卯辰八幡社に奉祀。明治になって、当社を旧加賀藩主金谷邸址に遷そうとして明治5年10月請願し、翌6年3月許可せられると同時に尾山神社と改称、同年11月、現社地に御社殿を創建しました。

尾山神社入口

尾山神社説明

三層の神門(重要文化財)

お松の方之像

お松の方之像(拡大)

前田利家公像

母衣「ほろ」について

さし石(力石)
この石を担ぎ力比べが行われた

歴代藩主

金谷神社

金谷神社と母子順風之像

池泉回遊式庭園

庭園池

利家公金鯰尾兜

神門(裏面)
左下はステンドグラス点灯模様

神門(正面)
左下はステンドグラス点灯模様

尾山神社庭園池
 金沢城・石川門・兼六園・尾山神社 

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